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八槻都々古別神社

 由来と沿革

八槻都々古別神社は奥州一宮の近津明神として崇敬されてきた古社です。創建は明確ではありませんが、『延喜式神名帳』にみえる白河郡の大社で、日本武尊(やまとたけるのみこと)と味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っています。室町末期から江戸初期に当地を治世した佐竹氏により社殿群が充実されましたが、正徳元年(1711)に焼失し、現在の社殿群は享保年間(171636)に再建されたものです。近世は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の色濃い社頭景観を構成しており、寛政2年(1790)の資料からは本殿・拝殿・随身門のほか、神輿殿や鐘楼、観音堂がありましたが、明治初期の神仏分離によって仏教色が一掃された結果、現在の境内構成となりました。

 

 『八槻拝殿』の画像

         拝殿

本殿

八槻都々古別神社は平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも記載され、奥州一宮として崇敬されてきた古社です。本殿は、正徳元年(1711)に焼失した後に、享保年間(1716~36)に再建されたとみられています。

形式は基本的に三間社流造(さんげんしゃながれづくり)を基調としながらも、奥行きを通例より長くとるといった独創性が見られ、彫刻などの細部装飾も華やかなつくりで、再建当初の姿をとどめています。福島県内の本殿建築の中でも江戸時代中期を代表する本殿建築です。 (町指定有形文化財)

『八槻本殿』の画像

 

随身門

随身門は、寛政2(1790)の「近津明神別当大善院由緒書」の記載によれば、正徳元年(1711)に焼失した後、享保年間(171636)に再建されたとみられております。本殿と比較すると、ほぼ同様の様式細部を有していますが、やや技巧的に進んだ感があり、本殿に引き続いて造営されたと考えられています。

随身門は、典型的な八脚門形式であるが、全体の比例もよく、彫刻や彩色などの装飾も細部までまとまっています。頭貫木鼻は獅子、象、虎、獏、麒麟などの具象的な彫物としています。蟇股(かえるまた)の彫物は蛸や鯛、松竹梅、人参、瓜、琵琶、波濤、牡丹など実に多彩です。(町指定有形文化財)

 

『八槻随身門1』の画像 『八槻随身門2』の画像

 

八槻都々古別神社に伝来する文化財

 

国指定文化財

 『八槻銅鉢』の画像

銅鉢

 

◆国認定重要美術品

『八槻木造十一面観音立像』の画像

↑木造十一面観音立像

 

◆県指定重要文化財

『八槻文書(2)』の画像 『八槻御正体』の画像

↑八槻文書                   ↑八槻都々古別神社御正体(みしょうたい)

 

『八槻大般若経』の画像

↑八槻都々古別神社大般若経

 

八槻家住宅

八槻家住宅は、八槻都々古別神社の南側門前の八槻集落のほぼ中央、街道から西に入った位置にあります。八槻家は、八槻都々古別神社の官司を務めるだけでなく、室町時代中期より修験道(しゅげんどう)との密接な関係をもつようになり、明治時代初期の神仏分離(しんぶつぶんり)までは大善院と呼ばれた熊野参詣(くまのさんけい)の先達(せんだつ)職を務める家でもありました。そのため八槻家住宅は官司の住宅としてだけではなく、修験僧のための接客空間としても使用されていました。(県指定重要文化財)

『八槻家住宅・表門』の画像『八槻家住宅・書院棟』の画像

八槻家住宅の表門(左)と書院棟(右)

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