町まるごと博物館

八槻都々古別神社の御田植

由来と沿革

「都々古別神社の御田植」(国指定重要無形民俗文化財)は、棚倉町大字八槻の八槻都々古別神社に伝わる田遊びで、「お御田植え」(おみたうえ)とも「み田植え」とも呼ばれています 。毎年旧暦1月6日の午前10時から、同社の拝殿で催されますが、かつては夜に行われていました。伝来の時期は明らかではありませんが、形態からみて少なくとも室町時代まではさかのぼると思われます。明治30年(1897)刊行の『棚倉沿革私考』では、鎌倉時代から続くと推測しており、また同書によれば明治時代に一旦中断したとあります。

古くから社家が演じてきただけに、口上も所作も能狂言風によく洗練されています。この地を流れる久慈川が、古代には東北への文化の移入路として重要な役割を果たしたため、この地にいち早く中央の文化が伝えられ、神社も祀られるなど、古い歴史と伝統を持つことになったと思われます。なお、地元の町立近津小学校郷土史クラブでは、平成10年度から町教育委員会や楽人会の協力を得て、この田遊びをクラブ活動の一つとして学んでいます。

芸能の構成と内容

都々古別神社の宮司は、古くから八槻氏が務めています。神社にはもともと社家が奉仕しており、寛政3年(1791)の絵図には8軒の社家があり、現在その家系は10軒残ります。演じるのは主としてこの社家で、現在は楽人として奉仕しています。演者はいずれも狩衣に烏帽子、白足袋の正装で、ほかに千早、緋の袴、白足袋となった巫女が2人加わります。田遊びに先立って、まず、修祓や祝詞奏上などの祭式があります。その後、田遊びがはじまり、宮司の呼びかけに楽人が応える形式で、拝殿や太鼓を田に見立て、餅鍬や松の小枝を持って口上を述べながら、稲作の過程を模擬的に演じていきます。

 宮司「奥州の山々に旧冬よりどっしりと降り積もった雪もいつしか消えて、雲雀の声も空高く聞こえるようになりましたので、当お明神様におきましても、お御田植にとりかかることに致します。」

 楽人「さようにごありますか。」

ここで松舞、巫女舞、幣舞の三座の神楽があります。囃子(はやし)は笛と大小2個の太鼓によります。これは社伝の出雲流神楽のうち採物舞(とりものまい)と巫女舞(みこまい)で、いずれかの時代に加わったものでしょう。

 御田植  御田植 天狐

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