町まるごと博物館

馬場都々古別神社

由来と沿革

都々古別神社は陸奥一宮として崇拝されてきた古社です。およそ1900余年前、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東奥鎮撫の折、関東奥羽の農業神、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を地主神として白河市表郷の建鉾山に鉾を祀ったことが始まりとされています。大同2年(807)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が現在の棚倉城跡に奉還、社殿を造り日本武尊を合わせて祀りました。

神社が初めて歴史書に見られるのは、承和7年(840)の『日本後紀』で、延長5年(927)には『延喜式神名帳』に、奥羽國白河郡名神大一座「都都古和氣神社」と記載されています。

江戸時代に入り寛永2年(1625)棚倉藩主の丹羽長重が、幕命により棚倉城築城に際し、現在の地に遷しました。


平安時代中期から久慈川、社川、阿武隈川流域の人々の絶大なる信仰の対象であり、明治6年(1873)には国幣中社「都々古別神社」となり、歴史を通じて格式の高い神社です。そのため境内には、中世末期から現代までの様々な時代の建築物が見られます。

 東照宮 

 ↑東照宮(江戸中期)と歴代藩主寄進の石灯篭 

社務所 神饌所

      ↑社務所 昭和初期            ↑神饌所 明治時代

随身門 拝殿

      ↑随身門 江戸末期            ↑拝殿 江戸中期

本殿

 本殿は文禄3年(1594)に佐竹義宣が造営したとみられています。寛永2年(1625)に現在地へ遷された際にも規模や形式をほとんど変えておりません。形式は本格的な三間社流造ですが、組物を出三斗(でみつど)とし、彫刻を用いていないなど、簡素なつくりとなっています。反りのある垂木、庇(ひさし)に架けた水平に近い梁(はり)などが中世的な要素です。

 都々古別神社本殿は、東北地方において数少ない桃山期の本殿建築として、高い価値を有しています。細部や技法には中世的な要素が残っており、中世から近世への転換期における様式や技法を知る上で、貴重な建造物です。(国指定重要文化財指定)

本殿 

    ↑本殿 中世末期に建立

都々古別神社に伝来する文化財

◆国指定重要文化財

太刀 鎧

↑長覆輪太刀(ながふくりんのたち) 鎌倉時代      ↑赤絲威鎧残闕(あかいとおどしよろいざんけつ) 鎌倉時代

◆県指定重要文化財

鉾  

↑鉾形祭具(ほこがたさいぐ)室町時代

文書

↑都々古別神社文書等 中世末期~江戸末期

御正体

↑馬場都々古別神社 御正体(みしょうたい)鎌倉時代3面 室町時代1面                                    

◆町指定文化財

大黒天

↑木造大黒天立像 室町時代

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