2025年棚倉城築城400年
2025年棚倉城築城400年
棚倉城の築城
元和(げんな)8年(1622)に5万石の大名として棚倉藩主となった丹羽(にわ)長重(ながしげ)が、寛永(かんえい)2年(1625)に江戸幕府の命を受けて築城しました。常陸(茨城県)と境を接し、奥羽の玄関口に位置する要衝(ようしょう)の地を押える役割があったと考えられています。長重は寛永4年(1627)白河へ移封となり、代わって棚倉藩主となった内藤信照(ないとうのぶてる)によって、引き続き城の造営や城下の整備が行われました。その後、城主は徳川譜代・親藩の家柄が入れ替わり、幕末の戊辰(ぼしん)戦争(せんそう)で新政府軍と戦い落城しました。巨大な土塁と水堀で区画される長方形の本丸と、それを取り巻く二ノ丸、その北西の三ノ丸(林曲輪(はやしぐるわ))からなる構造です。二ノ丸西側崖部(がけぶ)には石垣が築かれ、本丸土塁上には二重隅(すみ)櫓(やぐら)4棟、一重櫓1棟が建てられ、各櫓間を連結する多門(たもん)櫓(やぐら)は東北地方の城郭では随一の規模でした。平成31年(2019)に、国の史跡に指定されました。
棚倉城築城400年記念イベント
歴史講演会 演題『江戸幕府奥羽政策要衝の地 棚倉城の魅力』
開催日時 令和7年1月17日(金) 午後3時30分から
開催場所 棚倉町立図書館 多目的ホール
講 師 北野 博司 氏 東北芸術工科大学名誉教授
令和7年1月17日(金)に棚倉城築城400年記「歴史講演会」を開催し約160名の参加がありました。
参加者からは活発な質疑もあり、棚倉城に関する知識を深めることができました。
たなぐら”まるごと”スタンプラリー
当選者決定!
2025年棚倉城築城400年記念「たなぐら“まるごと”スタンプラリー」の抽選会を実施しました。厳正な抽選の結果、応募総数1,623通の中から400名の当選者を決定しました。
なお、当選者の皆様には1月末ごろに賞品を発送いたします。
記念ロゴマーク
別名「亀ケ城」といわれる棚倉城。今も残る二ノ丸西面の石垣を亀の甲羅に見立て、シンボリックに表現しました。また、400の数字の色は、お城に咲く「桜(ピンク)」、棚倉町の花「つつじ(赤)」、築城以前から棚倉町を見守る「ケヤキ(緑)」を表現しています。
棚倉城の名称いろいろ
⑴ お堀に住む大亀が水面に浮かぶときまってお殿様が他国へお国替えされたということから、別名「亀ヶ城」と呼ばれています。
⑵ 丹羽長重は棚倉城が完成しないまま白河へ移りました。城壁を白壁に仕上げられず荒土のままであったことから、当時は「新土城」と呼ばれていました。
⑶ 奥州一宮近津明神(馬場都々古別神社)を現在の馬場に遷し、跡地に築城したため「近津城」とも名づけられていました。
棚倉の名所・観光スポット
東北の小京都 棚倉 ⇒ 詳細はこちらをご覧ください
「小京都」とは、古い街並みや風情が京都に似ていることから、各地で名付けられた街の総称であり、室町時代以降、各地の大名等が京都を模倣した街づくり(都うつし)をしたのが、「小京都」の起源と言われています。現在、狭義では、「全国京都会議」に加盟する市町のこと言います。京都会議は、昭和60年(1985)5月に、京都とゆかりのまちが互いに手を携え、悠久の歴史と豊かな自然に培われた伝統や文化の魅力を全国に発信し、それぞれのまちのイメージアップと観光誘客の相乗効果を図ることを目的として、京都市をはじめとする26町村により結成されました。昭和63年(1988)の第4回総会において、全国京都会議への加盟基準が定められ、その一つ以上に合致していれば、総会で承認されます。棚倉町は、平成27年(2015)に加盟し、令和6年7月現在、38町村となり、共同宣伝パンフレット・ポスターの作製・配布など、広域観光キャンペーンを展開するほか、年1回の総会を加盟する市町村の持ち回りで開催しています。
棚倉城の大ケヤキ
このケヤキは、棚倉城を築城する以前にこの地にあった、近津明神(馬場都々古別神社)の御神木だっとされる大樹です。樹齢約650年、樹高約32mにも及びます。県内では、これほど巨木なケヤキは稀で、県の指定天然記念物や緑の文化財に登録されています。
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問い合わせ先
- 地域創生課 歴史観光係
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〒963-6192 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字中居野 33
電話番号:0247-33-2112
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- 【更新日】2024年12月13日
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