流廃寺跡
流廃寺跡の概要
流廃寺跡は、平安時代(9世紀後半~10世紀前半)に建立された寺院跡です。棚倉町流地区の小高い山々には、かつて人工的に作られた平場がいくつも連なり、お堂が立ち並んでいました。
棚倉町教育委員会では、平成15年(2003)から約10年にわたり詳細な発掘調査を実施しました。その結果、ほぼ1本の尾根筋に沿って並列する13ヶ所の平場と9棟の建物跡が極めて良好な状態で見つかりました。発見された建物跡には、伽藍(寺院の建物構成・配置)の中心と考えられる大規模な礎石建物跡(本堂跡)やいくつもの小規模な建物跡がみられ、尾根に沿ってお堂が連なっていた姿がわかりました。また、それぞれの平場を結ぶ通路や階段も発見されており、伽藍内の導線を復元することができました。(国指定史跡)
流廃寺跡は、伽藍の残り具合状況が非常に良く、平安時代における仏教を考える上で全国的に貴重な遺跡であることや、東北地方に仏教が広がっていく様子を知る上で重要な遺跡であることが明らかになりました。
8号平場では、北側中央部に土壇跡とみられる高まりが見られ、ここを仏壇とする仏堂、あるいは護摩(ごま)堂であったと推測されています。また、10号平場から続く石敷き通路も見つかっています。

↑8号平場
10号平場は、発見されている建物跡の中で一番面積が広く、本堂跡と考えられています。
↑10号平場 ↑10号平場の建物(本堂)復元図 ↑10号平場から出土した軒丸瓦
7号平場は、本堂跡との位置からみて、講堂跡と推測されています。建物の構造は、斜面へはり出した懸造(かけづく)りです。
↑7号平場 ↑7号平場の懸造り建物復元図
問い合わせ先
- 生涯学習課 生涯学習係(棚倉町文化センター)
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〒963-6123 福島県東白川郡棚倉町大字関口字一本松58
電話番号:0247-33-0111
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- 【更新日】2019年2月4日
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